お笑い

ミルクボーイの結成秘話!結成日や芸歴、コンビ名の由来を調べてみた

2019年のM-1グランプリで見事優勝したミルクボーイ。

最近テレビで見る機会も増えてきましたね。

そんなミルクボーイですが、芸歴はどのくらいでどのようにして結成されたのでしょうか?

ミルクボーイの結成について調べてみました。

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ミルクボーイの結成日

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

ミルクボーイは2007年7月に結成されました。

7月のいつなのか、詳しい日付を調べてみましたが公表されていません。

しかし、2007年7月にbaseよしもとのオーディションを初めて受けて正式に「ミルクボーイ」結成とされています。

そうすると2007年7月のbaseよしもとのオーディションの日が結成日ということになるのではないでしょうか?

そこで2007年のオーディションの日付を調べてみましたが、やはり10年以上も前だからか見つけることはできませんでした。

 
 
もしかしたら本人たちも覚えていないのかもしれないね

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ミルクボーイのコンビ名の由来

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

内海さんが高校生の時に、『M-1甲子園』に出るためにコンビを組んで、その時にボツになった名前なんだそう。

駒場さんも特にこだわりがなかったし、それでいこうということで決まりました。

内海さんはボツになっても「ミルクボーイ」という名前が気に入っていたんです。

一度、コンビ名に『ん』が入っている方が売れると聞いたことから、「ジン・ウオッカ」とコンビ名を変更しましたが、「前のほうが良かった」と言われミルクボーイに戻しています。

ミルクボーイ結成秘話

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

ミルクボーイの結成秘話はインタビューや内海さんのHPで語られています。

ミルクボーイはツッコミの内海さんとボケの駒場さんが通っていた大阪芸術大学の落語研究会で2004年5月に出会いました。

当時内海さんはアイスホッケー部と入部を迷っていたため、2004年6月に2か月遅れで入部。

その後すぐに駒場さんからコンビに誘いました。

当時落研に入部したのが二人を含めて4人。

内海さんも「この中でコンビを組むならこいつかな」と駒場さんの誘いを受け入れました。

 
 
お互いがお互いを良いと思ったんだね

その後2004年7月に大学の教室で初舞台で漫才を披露。

ほぼぶっつけ本番でもウケたんだとか。

それからコントをやったり、ほかの落研のメンバーとトリオをやったり、いろいろ研究したそう。

でもこのとき内海さんはお笑い芸人に絶対なりたいという覚悟はなかったんです。

それに対して、駒場さんは小学生の時から芸人になりたいと思っていて、大学卒業後すぐにNSCに入学しようとしていました。

そんな時、二人に転機がやってきます。

2006年に仮結成したミルクボーイで「大学生M-1グランプリ」で優勝

これがきっかけでプロを目指すようになりました。

そして2007年7月にbaseよしもとのオーディションを初めて受け、正式に「ミルクボーイ」結成となりました。

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ミルクボーイの芸歴は?

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

ミルクボーイの結成は2007年7月ですから、結成12年、2020年で結成13年目になります。

苦節12年でのM-1優勝かと思いきや、実は暗黒時代と言われる空白の5年間があるのです。

 
 
暗黒時代については経歴と一緒にみてみよう!

ミルクボーイの経歴

初期

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

2007年7月にbaseよしもとのオーディションを初めて受けて、そのときは不合格。

その後、2008年1月にbaseのオーディションに合格、2010年5月にbaseメンバー入り。

ライブで気の合った芸人たちとも遊ぶようになり、いつの間にか吉本の芸人となっていました。

暗黒時代

2010年末の「M-1グランプリ」では準々決勝進出止まりだったが、当時のルールで敗者復活戦にも出場することができ、駆け出しの芸人としては順風満帆と言っても過言ではない状況だった。しかし、その年の大会を最後にM-1は終了する。第2期スタートとなる2015年まで開催されない。彼らにとっても、「空白の5年」となる泥沼の期間が始まる。

https://qjweb.jp/special/2290/3/

M-1が終わってしまい、漫才に対するモチベーションをなくしてしまいました。

2011年には「ABCお笑い新人グランプリ」の決勝に進出するも、準備の相談がしっかりできず失敗、ふたりがギクシャクし始めました。

駒場さんは「掃除検定」、内海さんは「お好み焼き検定」を取得したり、完全に方向性を見失ってしまいました。

そして駒場さんは週6日で淡路島に行って先輩とBBQを、内海さんは競馬やパチンコのギャンブルばかりしていました。

お互いずっと遊んでいて、ふたりはすれ違っていたのです。

そんな状態が2015年くらいまで続きました。

新時代

引用元: https://qjweb.jp/special/2290/

2015年のあるとき、駒場さんが海原やすよ ともこさんと話しているときに

「漫才ちゃんとやって欲しい」

と言われ、目が覚めました。それが本来の道に戻るきっかけになったのです。

そして2016年1月、駒場さんがピンでの仕事で韓国ロケに行ったとき、進行がうまくできずにとても悔しい思いをして、すぐあとすぐに内海さんに、

そろそろちゃんと漫才やろ」

と言いました。

内海さんはそのときようやくふたりの気持ちが混じり合ったと思いました。

その頃ちょうど内海さんも、お母さんが倒れてしまい、助からないかもしれないと言われていて中で一命を取りとめました。

そのときにお母さんが看護師さんに「息子が芸人や」と自慢したんです。

それがきっかけで「がんばろう」と奮い立ったのです。

しかし、5年間の間にファンはすっかり離れてしまい、ネタ対決の劇場ライブに出ると、お客さんの票がゼロになっていました。

一度原点に戻って真剣に漫才をやろうと、天王寺の歩道橋でチケットを手売りしたりしてもなかなかうまくいきませんでした。

 
 
そこでなにか違うことをやらなきゃいけないと考えたんだ

覚醒期

単独ライブを早々にあきらめ、ミルクボーイは自分たちが本当におもしろいと思える笑い、M-1優勝につながる今の漫才を全力でやるために、新しい合同ライブイベント「漫才ブーム」を立ち上げる。共にやるメンバーとして選んだのは、「M-1グランプリ2018」の敗者復活でも大きな衝撃を残した金属バット、そしてツートライブ、デルマパンゲというメンバーだった。

https://qjweb.jp/entertainment/2364/2/

自分たちを追い込むために、自分たちが本当におもしろいと思う後輩3組を呼んでイベントを立ち上げました。

そしてさらに自分たちにプレッシャーをかけるため、ある縛りを課しました。

他の3組には毎回2本の自由なネタをやってもらったが、ミルクボーイは毎回3本、必ず新ネタをおろすことに決めたのです。

駒場さんが何かを忘れたという今の漫才の原型が、このライブでできあがりました。

その後2018年に「オカンが忘れた」というくだりができあがりました。

そして、2018年の霜降り明星が後輩で初めてM-1グランプリで優勝したため、強い刺激を受け漫才に対する意識が高まりました。

駒場さんは飲み会の誘いを全て断り、内海さんはギャンブル断ちをしました。

何が正解かわからなくなるときもあったけど、とにかくふたりがおもしろいと思うものを信じてやり続けました。

すると探り探りながらも手応えが出てきたのです。

 
 
そして2019年のM-1をむかえて優勝したんだ

ミルクボーイの結成についてまとめ

大学の落研で出会い結成されたミルクボーイ。

当初は順風満帆だったけど、一度目標を見失ってしまい空白になった5年間を経て、自分たちの漫才を確立していきました。

暗黒時代の後にはそうとうな努力をしたと思います。

M-1優勝本当におめでとうございました。

これからの活躍を期待します!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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